先日、Pが、学校で掛け算を教えてもらいました。
通常級ならば一年前の二年生の時に習っているはずのものですが。
わたくし、ひそかな目標として、学習面では一年遅れくらいを目指しているのです。
でも私が勉強するわけではないので、なんというか、そのくらいの緊張感でもって、Pの学習を進めたいと思っているのです。
三年生もそうとう後半で、もっと初めの段階で、掛け算にいこうと思っていたのですが、今年度は学校に行けなくなるんじゃないか?! という日々が長かったので、私も新しい学習に入る気力が出なかったのでした。
理科社会だけを三年生のチャレンジでやって、国算は、陰山先生の作った問題集「び・えいぶる別冊」というものの二年生用でこつこつやっていました。
その他に、学校からは、日記と、プリントが一枚(一年生くらいの漢字か計算)出ていました。
計算が案外進んでいると先生に伝わったのか、この前から宿題のプリントが、繰り下がりありのひきざんになり、Pも筆算なしでといてます。
漢字を強化するために、日記を活用したいと先生にお伝えしたら、
その日のうちに、「今日」「明日」「月曜日」などをプリントした用紙が連絡帳に挟んであったのでした。
これを見てぐっと胸が熱くなった私です。
知的障害も自閉症もあるとされるPに、「勉強頑張ろう」というアプローチをしてくださったのは、今年度の先生達です。
担任はもとより、知的学級の先生も、Pにもっと積極的な学習を進めようとして下さり(掛け算はこちらの先生が教えてくれました)、講師の先生も、Pをきちんと受け止めてくださっている。
これまで、検査をしたり、その結果をみて判断して、
「がんばらせなくてもいい」
ということを言った専門家が何人もいます。
私はなっとくせず。
だって知識は、本人の人生を深くするためにあるべきもので、
けっしてそれが就労に直接つながるとも思っていないのに、
「勉強させれば普通になるんでしょとおもっている母親」と私を見ただろう専門家たちが、
今のPを見たらなんていうのか。
検査場では実力を出せなくても、着実に知識をつけていけばいいのだと思います。
なんで私が勉強にこだわるかと言うと、
本を読み、海外の子ども達の話を知ったりすると、
学習、知識は、当たり前に必要なものだと思うからです。
知識は人を守るもの。そう思うから、Pに勉強させるわけです。だっていずれ自分が主体となって、自分を守らなくてはいけないからです。
人を頼るのでも、そうだとおもいます。
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